感想と証し

2014-02-13
心の中の賀川豊彦先生とその名著「死線を越えて」
~賀川豊彦紀念 松沢資料館で受けた感銘~
数日前、JCCの姉妹から賀川豊彦先生の生涯を綴った自伝小説である「死線を越えて」を紹介してほしいとの連絡があった。正直、僅か数ヶ月前、朴牧師に勧められ、又JCCの姉妹に教えられ、初めて先生のお名前を知り、それから「死線を越えて」(復刻版)を読んだ私だから、とても自分の力の及ぶところではないと思っていたが、この為に、今回再び資料館を訪れた。私が敬愛して止まない偉人の資料館に身を置き、薄暗い照明の下、静寂な雰囲気の中で先生の遺した足跡を辿ることで、私自身も再度精神的な洗礼を受けたような気がした。
賀川豊彦先生(1888年~1960年)は、キリスト教社会活動家、牧師、伝道者、労働運動の指導者、平和主義者であった。生涯に亘って社会的弱者の立場に立ち、貧民街へと移り住み、貧窮者に福音を伝え、救済活動を献身的に実践した。先生は根本的に貧困問題を解決するために留学し、帰国後、協同組合や農業協会を創立した。先生は「友愛、互助、平和」を提唱し、戦争反対、軍国主義反対を唱えた方であった。また、ノーベル平和賞・文学賞の候補者でもあり、「20世紀の3大聖人」と讃えられて、書画に堪能であり、生涯300冊を超える著書を執筆した思想家でもあった。先生の生涯は神を愛し、貧しい人々に愛の手を差し伸べた一生であった。72歳の時、生涯を閉じ、主に迎えられ、天国に帰った。正に、非常に傑出した人物であると言えよう。
賀川豊彦先生の不朽な名著「死線を越えて」は大正時代において空前のベストセラーであり、2度ノーベル文学賞候補にも推薦されている。この自伝小説の前半、先生は主人公新見栄一を通じて、読書家で、繊細で、善良な心根を持ち、肺病を患い、涙に脆い明治学院3年生の青年の姿を描いている。彼は父の同意を得られず、退学して母との死別し、彼の故郷でもある神戸に帰った。その後徳島で父との葛藤や鶴子とのロマンスなどを味わってから、最終的に孤独、苦悶、絶望に終わらせるべく、貧民街に身を投じて福音を宣伝することを決意した。小説の後半、先生は醜悪な世界のどん底であった神戸貧民街に私たちを導いた。この歪な世界では、死亡、伝染病、犯罪、乞食、売春婦等が蔓延し、未曽有で驚愕な事件が至るところで発生する過酷な環境の中で、主人公の栄一は道端で福音を伝えながら、日曜日学校を開設した。また病人を看護し、死者を埋葬する等一連の活動を献身的に取り込んだ。つまり自らの行動で極貧の人々の心を感化し、この陰湿で不毛な土地に一筋の温かい光をもたらしたのである。
先生の小説の中では、リアルな貧民街の世界の描写が行間に満ち、時に私に涙を流させ、時に息を呑ませ、時々私の身を震わせた。栄一という人物の内面的な世界と成長過程の描写が特に繊細で、生き生きとしていて、人を感動させる。特に死を越えた体験や、回心の場面では物語はクライマックスに達した、読了した人が後になっても振り返るようなものであり、大変読む価値のある作品である。
資料館を出てから、私はずっと考えた、なぜ日本の歴史でこのような功績を遺した偉人は、近代の日本人において忘れられたか?なぜ教科書で紹介されないのかと。私自身を安堵させる為に、また私の理解として、先生の事業は余りにも華々しく、彼の偉大さその光の影の下に隠れてしまったのではないか。ここである作家の言葉を思い出した:“皴のない祖母が却って不思議、白髪のない老人が残念に思う。”先生は人間であり、100%の純金がないのと同じように、完璧な人間もまたいないのである。このことを思うと何とか少し納得した。
先生、またあなた様をお尋ねし、思い偲ぶとしよう。
ミラン
2013/12/27
賀川豊彦紀念 松沢資料館URL:
http://zaidan.unchusha.com/